伯耆安綱について | ||||||||
伯耆安綱とは | ||||||||
大原安綱(おおはらやすつな)ともいう。本名、横瀬三郎太夫。 一般に安綱は、坂上田村麻呂の佩刀を作ったことから大同年間(806年〜810年)の人とされているが、この時代には鎬造湾刀様式が確立していない。 現在では備前友成、三条宗近と同時代の頃の刀工とみるのが定説となっている。 安綱は、「太平記」に「伯耆国会見郡に大原五郎大安綱と云鍛冶・・・」と記されており、その代表作には大江山で酒呑童子を切ったという源氏代々の宝剣「鬼切」(国宝)がある。 となりの丸山地区にはたたら製鉄跡もあることから、「大原鍛冶」の言い伝えで有名なこの地が古くより刀鍛冶の文化が盛んであったことを物語っている。 |
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安綱の名前が記されている歴史書・刀剣書 | ||||||||
『太平記』 (1370年頃) 全40巻。 南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年)−1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。 巻32 272段 直冬上洛事付鬼丸鬼切事より 此太刀は、伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱と云鍜冶、一心清浄の誠を至し、きたひ出したる剣也。 時の武将田村の将軍に是を奉る。 此は鈴鹿の御前、田村将軍と、鈴鹿山にて剣合の剣是也。 其後田村丸、伊勢大神宮へ参詣の時、大宮より夢の告を以て、御所望有て御殿に被納。 其後摂津守頼光、太神宮参詣の時夢想あり。 「汝に此剣を与る。是を以て子孫代々の家嫡に伝へ、天下の守たるべし。」と示給ひたる太刀也。 されば源家に執せらるゝも理なり。 『泰時評定分』 (1200年頃) 北条泰時(1183〜1242年)の代に、一条天皇の御宇の刀工、伯耆安綱・三条宗近など11人の刀工を評定した。 原本は現存せず、上古秘談抄に記載がある。 伯耆安綱、三条小鍛冶宗近、備前包平(河内包平とも)、備前正恒、大和行平、備前助包、備前(伯耆)為吉、 備前義則(義憲)、備前信房、備前高平、備前助平。 『上古秘談抄』 (1314年) 上中下の三巻より成る。 元は1314年(正和3年)に名越崇喜(篤時)が記したもので、それを1369年(応安2年)に宇都宮三河入道が写したことになる。 日本刀成立以前を「上古七人鍛冶」として二群に分けて載せる。 大宝年間 :友光、天国、文寿 和銅年間 :神息、真守(大原安綱の子)、実次(備前あるいは熊野鍛冶)、藤戸 『正和銘尽』 (しょうわめいづくし) (1351年以前) 1423年(応永30年)に書写された刀剣書。 京都東寺子院観智院伝来本であることから『観智院本銘尽』ともいう。別名『正和本銘尽』。 「正宗五郎入道、貞宗、彦四郎」の記述から始まり、神代からの刀工名、著名刀工と茎(なかご)の図、粟田口系、鎌倉鍛冶などの流派の系図などが記載されている。 現存する日本最古の刀剣書とされていたが、2017年に、佐賀県立図書館が所蔵する龍造寺家文書の中の申状土代(訴状の下書き)の裏から観応2年(1351年)に書写されたとみられる「銘尽(龍造寺本)」が発見された |
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経歴 | ||||||||
生年不詳。 古伝書には時代を9世紀初めの大同年間(806年頃)とする。 しかし、現存作品を見る限りそこまで時代は上がらず、平安中期、永延年間(987年頃)と見るのが刀剣史では通説となっている。 反りの考案 古代の太刀は直刀で、刀ではなく剣と称されることが多い。 そして反りと鎬が出来たことで切れ味が格段に進歩したとされる。 日本刀は世界一の切れ味とされるが、それには反りと鎬が欠かせない。 安綱は初めて反りを刀に与えた考案者であるという。 反りの考察 日本刀に反りがついた理由については多くの学者が研究しているが、正確なことは分かっていない。 大陸の影響等いろいろ考えられるが、複合的な理由が幾つか合さってのことであろう。 そのひとつに戦闘様式の変化も要因として考えられる。 蝦夷征伐により、朝廷側ははじめて蝦夷軍の騎馬隊に遭遇したという。 これにより朝廷側も騎馬戦を導入するに至った。 また当時弓を防ぐことが第一であり、そのため上級武士であればある程甲冑が堅固にかつ相当な重量であった。 基本的に源平合戦に代表されるように、この頃の戦闘はまず互いの武器の数を競い、武者同士の一騎打ちを行い、武器の他に剛の者を相当抱えていることを見せつけることから戦闘が開始される。 武器の数・強い武者を多く抱えていることで優劣が決まることも少なくなかったはずだ。 この時点で劣勢にたたされた方が総崩れとなり離散することもあった。 徹底的な総力戦ではまだまだなかった。 この一騎打ちに際し、総重量40kgにもならんとする大鎧を着込んでいたので、むしろ馬上の方が自分で歩かずに済むので理にかなったということであろうか。 この場合片手で太刀を操作する必要があり、突きは非常にむずかしく、当然振り回すこととなる。 この馬上での斬りあい、馬上から徒武者を斬りつけるのに適した形状がもとめられ、すなわち、衝撃の緩和としての反りが配慮されたのであろう。 古代の徒戦から馬上戦へに移行が日本刀を生み出す要因であった。ただ、騎馬武者の数は限られており、多くの兵は弓・鉾(ほこ)が主武器であったが、上級武士の要望が優先されたのが刀剣だったのかも知れない。 安綱の後裔 |
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安綱を始祖とする大原一門は、息子の真守の代以降も栄え、平安末期から鎌倉中期まで繁栄した。 | ||||||||
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「観智院本銘尽」 国会図書館蔵 貝44![]() |
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大原鍛冶とその後裔 | ||||||||
鳥取県は日本刀発祥の地といっても過言ではなく、なかでも伯耆(鳥取県西部)は中国山地から産出する豊富な砂鉄(印賀鋼など)を得、平安時代から幕末に至るまで著名な刀工を輩出した。 安綱を筆頭とする大原鍛冶は平安末期から鎌倉中期まで繁栄した。 室町後期には東伯耆地方に広賀を名乗る鍛冶集団が出現し活躍した。 その広賀の家系は、見田系と道祖尾系に分かれていた。 道祖尾系は文明頃より江戸期にわたり倉吉鍛冶町に住んでいた。 見田系は天文の五郎左衛門尉にはじまり津原に住んだが、後に倉吉と往還し、承応の頃までその名跡を遺している。 その道祖尾系の鍛冶であり、俗名を勘介と称した広賀は、永禄を盛期に鍛刀した一門中で最も優秀と伝えられる刀工である。 室町末期から江戸初期にかけて弓削で活躍した正綱一門が現れた。 江戸時代に入ると鳥取藩工としての因州鍛冶が活躍し、伯耆の刀工は衰退したが、幕末になると再び作刀の気運が起こり、吉幸・秀春・包則等の刀工が出現した。 |
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大原鍛冶隆盛の成因 | ||||||||
中国山地から産出する豊富な砂鉄(印賀鋼など)と、それを加工する技術のたまものである。 |
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安綱の碑(鳥取県伯耆町八郷大原地区) | ||||||||
碑文 大原古鍛治発祥の地 鳥取県西伯郡伯耆町大原 (伯耆国会見郡大原) 一、 安綱(大同)(806年)→真守(慶祥)(848年)→守綱(寛平)(889年)→真綱(承平)(931年)・有綱・安家、 真綱→安守(応和)(961年)→友安(長徳)(995年) 二、 安綱は伯耆古鍛治の始祖で反りのある日本刀の創始者である。 現在天下五剣中の絶品と称されている国宝童子切安綱(東京国立博物館蔵)の作者である。 太平記(1317年)に「この太刀は伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱という鍛治あり一心清浄の誠を至しきたえ出したる剣なり」とある。 三、 真守(さねもり)・大原真守刻名の太刀が数振り現存しているが代表作は抜丸と称されている名刀である。 平治物語記述によれば「この太刀は嵯峨天皇の勅命により伯耆国大原に住する真守の作であり、初めは木枯と呼ばれていたが、ひとりでに抜け出して平忠盛の危急を救ってより抜丸と改名されて平家累代の守り刀として重宝されたとある。 四、 当地方は良質の真砂砂鉄の産地であり、大山寺とのかかわりにより平安時代(古刀期)にこの地で現在に伝わる多くの国宝・重要文化財・重要美術品級の名刀が大原鍛治一門により鍛え出されている。 |
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伯耆安綱 碑文 |
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伯耆町大原 大原神社 | ||||||||
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伯耆安綱の刀 | ||||||||
伯耆安綱の刀 | ||||||||
東京国立博物館蔵 「童子切安綱」 太刀 銘 安綱 国宝 津山藩(津山松平家)伝来 源頼光が、頼光四天王を引き連れ丹波大江山の酒呑童子の首を切り落とした時の剣という。 詳細は、次項へ。 |
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北野天満宮蔵 「鬼切安綱」 太刀銘 安綱 重要文化財 新田義貞佩刀、最上家伝来 多田源氏の棟梁である源満仲が刀匠大原安綱に打たせた双剣のひと振り。 双剣のもう一方は天下五剣のひとつで国宝の名物童子切安綱。 頼光四天王のひとり、渡辺綱の手によって一条戻橋の鬼の腕を落としたことから、「鬼切」の名で呼ばれることになったという。 詳細は、次項へ。 静嘉堂文庫美術館蔵 太刀 銘 安綱 重要文化財 保科家伝来 紀州東照宮蔵 太刀 銘 安綱 重要文化財 徳川家康佩刀 紀州徳川家重宝 附糸巻太刀拵 文化庁保管 太刀 銘 安綱 重要文化財 島津家旧蔵、 |
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童子切安綱 | ||||||||
概要:童子切(どうじぎり)とは 日本の国宝に指定されている日本刀。 平安時代の刀工、大原安綱の作であるとされる。 童子切安綱(どうじぎりやすつな)とも呼ばれる。 天下五剣の一つで、大包平と並んで最も優れた名刀とされている。 現在は東京国立博物館の所蔵品となっている。 刃長79.9cm、反り2.7cm。 名前の由来 源氏の宝剣で、清和源氏の嫡流である源頼光は、丹波国大江山に住み着いた鬼、酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという。 童子切の名前はこの伝説に由来する。 この他にも様々な逸話が伝わる。 所有者経緯 最初は源氏の宝剣とされていた。 後に足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、2代徳川秀忠、松平忠直(秀忠娘婿)に継承され、越前松平家の高田藩から津山藩に継承された。 津山松平家では、この童子切と稲葉郷、石田正宗の3振の名刀を家宝として伝えた。 昭和21年(1946年)、津山松平家より刀剣商に売却され紆余曲折の末、国の所有となり東京国立博物館に所蔵されている。 童子切(どうじぎり)と大江山伝承 酒呑童子の一味による被害があまりにも大きく、源頼光が鬼退治に行くこととなり、配下の頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)や友人の藤原保昌ら、総勢五十数名とともに大江山に向かった。 山伏の姿になった一行はさまざまな人々の助けを得ながら、一晩の宿を求める振りをして酒呑童子の本拠にはいることに成功した。 その晩は酒宴が盛り上がり、深夜、酔って動かなくなった酒呑童子の一味の鬼たちを頼光らは残らず退治した。 ただし、茨木童子のみは渡辺綱と戦っていたところ、酒呑童子の討たれるのを見てこれはかなわないと退却し、唯一逃げるのに成功したという。 酒呑童子・・・詳細は【鬼伝承】へ |
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鬼切安綱 | ||||||||
概要: 多田源氏の棟梁である源満仲が刀匠大原安綱に打たせた双剣のひと振り。 双剣のもう一方は天下五剣のひとつで国宝の名物童子切安綱。 名前の由来 頼光四天王のひとり、渡辺綱の手によって一条戻橋の鬼の腕を落としたことから、「鬼切」の名で呼ばれることになったという。 その鬼とは茨城童子であり、酒呑童子の配下の鬼であったという。 しかし実は、このときに使ったのは「髭切りの太刀」であったともいう。 所有者経緯 多田満仲から頼光に、さらに頼国に伝来したものを源義家が蝦夷征伐に赴く際に借り、そのまま義家の子孫に伝わった。 元は坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納したものを源頼光が貰い受け、さらに渡辺綱に与えた。 一時箱根権現に奉納されていたが、それを頼朝が貰い受け、のち最上家に伝来したとする。 何らかの由来で新田家に伝わった。南北朝騒乱の折、新田義貞がこの鬼切安綱を鬼丸国綱とともに佩いて奮戦したという。 その後、最上家を出て輾転としている。 明治13年滋賀県権令の籠手田安定の首唱で寄付を募って購入し、京都北野天満宮に奉納した。 明治2年12月には明治天皇の叡覧も賜った。 その時本阿弥光品は、銘「国綱」と読めるが伝来通り安綱であると鑑定している。 鬼丸国綱との混同 北野天満宮所蔵のこの鬼切安綱は、大原安綱の作だが現在は銘が改変されており、「國綱」と切り直されている。鬼切"丸"国綱。 北野天満宮によれば、「鬼切と号する太刀で、当初「安綱」と刻銘してあったが、後代に安の字に字画を加えて「國綱」にしたと伝えられる源氏の重宝として最上家に伝来し、のち有志者より当宮へ奉納された。」という。 このため、国綱作の「鬼丸国綱」と混同される場合がある。 新田義貞が所有したのは鬼丸国綱と鬼切安綱(國綱改銘) |
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補足1:安綱の子 真守(さねもり)作の刀 | ||||||||
奥州津軽家所蔵 綱丸(つなまる) 刃長三尺三寸。佩き表に「八幡大菩薩」。 津軽家先祖大浦頼秀が任治元年鎌倉において将軍頼経または北条泰時から拝領した。 立割真守(たてわりさねもり) 元は伊達家相伝の重宝。 片倉小十郎が伊達政宗から拝領。 高照神社蔵 銘 真守 弘前藩主4代津軽信政が佩用していたものを、5代津軽信寿が寄進したとの伝来を持つ。 抜丸(ぬけまる) 嵯峨帝の勅により打ったもので、元は「木枯(こがらす)」」と号されていた。 「小鴉丸」とともに平家相伝の太刀。 現在所在行方不明。 |
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補足2:天下5剣 | ||||||||
数ある日本刀の中で室町時代頃より特に名刀といわれた5振の名物の総称。 |
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補足3:五箇伝(ごかでん) | ||||||||
五箇伝とは 日本刀の特徴ある作風を5つのグループに分類したもの。 山城(やましろ/京都)、大和(やまと/奈良)、備前(びぜん/岡山)、相模(さがみ/神奈川)、美濃(みの/岐阜)の5つ。 箇伝とは後に作られた日本刀研究のための分類であって、当時刀工達がこういう分類をしていた訳ではない。 |
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山城伝 平安時代中期、京都・三条の公家・宗近を祖とする流派。 首都京都を中心に展開した流派で、三条派、粟田口(あわたぐち)派、来(らい)派などが知られる。 平安後期の三条宗近(むねちか) 鎌倉中期の短刀の名手であった粟田口派の藤四郎吉光(とうしろうよしみつ) 鎌倉後期の来国俊(くにとし)など 大和伝 古都奈良とその周辺で活動した流派で、平安後期から鎌倉時代にかけて成立した千寿院(せんじゅいん)派、尻懸(しっかけ)派、当麻(たいま)派、手掻(てがい)派、保昌(ほうしょう)派の大和五派がよく知られている。 備後(広島県)や周防(山口県)の刀工にも影響を与えたとされている。 備前伝 備前国長船(おさふね)などの吉井川下流域を主な拠点とした流派で、福岡一文字(いちもんじ)派、吉岡(よしおか)一文字派、畠田(はたけだ)派、長船派などの諸派が知られている。 平安時代末期の古備前友成(ともなり) 鎌倉時代前期の福岡一文字派吉房(よしふさ) 鎌倉中期の長船派長光(ながみつ)など 相州伝 武家の都鎌倉を中心とした流派で、鎌倉時代中ごろに山城、備前の刀工が移住して以降名刀が産み出されるようになった。 鎌倉後期の新藤五国光(しんとうごくにみつ)」 鎌倉末期から南北朝期初めに活動した五郎入道正宗(ごろうにゅうどうまさむね) 南北朝期に越中(富山県)で活動した郷義弘(ごうよしひろ) 美濃伝(岐阜県関市付近)) 鎌倉後期ごろ、大和など各地から移住した刀工らが核となって形成された流派で、室町時代以降は美濃国中部の関(せき)が中心的な拠点となった。 南北朝時代の大和伝の手掻派出身で、相州正宗の弟子と考えられている志津三郎兼氏(しづさぶろうかねうじ) 戦国時代の関孫六兼元(せきまごろくかねもと)など |
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補足4:その他地方の刀工 | ||||||||
脇物 五箇伝以外の刀工集団を脇物と呼称するが、伯耆安綱、三池典太光世、青江貞次など多数の優秀な刀工に代表されるように、決して主流派に劣るものではない。 著明な刀工群 東北:舞草(もくさ) 月山 玉造 宝寿 東海:嶋田義助 北陸: 中国:備中の青江 古伯耆の安綱 九州:筑紫の三池 肥後菊池の胴田貫 薩摩の波平 |
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伯耆国と刀鍛冶 | ||||||||
安綱や大原真守などの諸工を、古伯耆一派と呼ぶことがある。 古備前より、創始された時期が若干先行するものではないかとの意見がある。 腰反りが高く踏張りがあり、先が伏せ気味になった太刀姿と、焼き刃の低い小乱れと小湾れなどを交えた刃文は、この時代の特色で、帽子は焼き詰めか、焼き崩れて火焔となるものが多い。 鍛えは板目肌が立ち、地沸がつき、地斑、地景を交えて鉄色に黒味を帯びて刃中に金筋や砂流しを豊富に交えて一段と目を引く。 このことは、技術面をさておき、古名刀の持つ独特な品格を醸し出しているような気がします。 また、ヒラ肉の付いている点や、区際で腰刃や焼き落としがあり、これらは古伯耆一派の特色。 |
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伯耆安綱と西伯耆の鉄に関する考察 | ||||||||
以上、安綱に関して知るところをしたためたが、何故この西伯耆の地に、天下の名刀とされる「童子切り安綱」が誕生したかは詳らかではない。 安綱の詳細を示す史料は皆無に等しいが、安綱銘のある刀剣や、残された伝承などから、安綱が生きた年代、出自、経歴、人物像などについて、接地ながらの考察を試みたいと考える。 伯耆安綱と西伯耆の鉄に関する考察−(目的、材料と方法概要) 材料と方法1:歴史書・刀剣書 材料と方法1−@:時代背景 材料と方法1−A:関連する人物 材料と方法2:安綱と刀剣類 |
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参考資料−1 | ||||||||
「伝承日本刀発祥の地調査報告書」 1986 伯耆安綱鍛錬の場探求会 「大神山神社御神宝刀調査報告書」 1988 伯耆安綱鍛錬の場探求会 「伯耆国縣村日下鍛冶 二代沢口大原尉真守 史実と伝承」 『三朝町誌』 「大原安綱・真守」 p550〜552 1965 「日本刀 源流への旅路(1)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol734−3月号 2018 日刀保 「日本刀 源流への旅路(2)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol735−4月号 2018 日刀保 「日本刀 源流への旅路(3)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol736−5月号 2018 日刀保 「日本刀の冶金学的研究」 谷村照 鉄と銅Vol3 p497〜508 1981 『蕨手刀の考古学』 ものが語る歴史 39 同成社 2018/12/12 黒済 和彦 『つくられたエミシ』 市民の考古学 15 同成社 2018/08/15 松本建速 |
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参考資料−2 | ||||||||
「日本刀工辞典 古刀篇」 藤代義雄・藤代松雄著 (藤代商店 1937) 「図解 日本刀事典―刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅」 (歴史群像編集部 2006) 「図説・日本刀大全―決定版 」 (歴史群像シリーズ 2006 稲田和彦 「写真で覚える日本刀の基礎知識」 (2009 全日本刀匠会) 「日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る」 (サイエンス・アイ新書 2016) 「日本刀の教科書」 (東京堂出版 2014 渡邉 妙子) 『日本刀図鑑』 (宝島社、2015、別冊宝島2646号) 『銘尽』(めいづくし) 国立国会図書館 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288371) 「ふるさとの古代史」 (伯耆文庫第9巻 今井書店 1994) 「鳥取県の歴史」 (山川出版 1997) 「鳥取県の歴史散歩」 (山川出版 1994) |
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