【伯耆(大原)安綱作の刀剣】 | |||||
東京国立博物館蔵 名物 「童子切り安綱」 国宝 | |||||
概要 太刀 銘 安綱 国宝 刃長79.9cm、反り2.7cm 平安時代中期980年頃? 現在は東京国立博物館に収蔵。 天下五剣の一つで、大包平と並んで最も優れた名刀とされている。 現在は東京国立博物館の所蔵品となっている。 名前の由来 源氏の宝剣で、清和源氏の嫡流である源頼光は、丹波国大江山に住み着いた鬼、酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという。 童子切の名前はこの伝説に由来する。 この他にも様々な逸話が伝わる。 所有者経緯 最初は源氏の宝剣とされていた。 後に足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、2代徳川秀忠、松平忠直(秀忠娘婿)に継承され、越前松平家の高田藩から津山藩に継承された。 津山松平家では、この童子切と稲葉郷、石田正宗の3振の名刀を家宝として伝えた。 昭和21年(1946年)、津山松平家より刀剣商に売却され紆余曲折の末、国の所有となり東京国立博物館に所蔵されている。 童子切(どうじぎり)と大江山伝承 酒呑童子の一味による被害があまりにも大きく、源頼光が鬼退治に行くこととなり、配下の頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)や友人の藤原保昌ら、総勢五十数名とともに大江山に向かった。 山伏の姿になった一行はさまざまな人々の助けを得ながら、一晩の宿を求める振りをして酒呑童子の本拠にはいることに成功した。 その晩は酒宴が盛り上がり、深夜、酔って動かなくなった酒呑童子の一味の鬼たちを頼光らは残らず退治した。 ただし、茨木童子のみは渡辺綱と戦っていたところ、酒呑童子の討たれるのを見てこれはかなわないと退却し、唯一逃げるのに成功したという。 酒呑童子・・・詳細は【鬼伝承】へ |
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北野天満宮蔵 「鬼切安綱」 重要文化財 (旧国宝指定) | |||||
概要 太刀銘 安綱 重要文化財 2尺7寸9分2厘(84.5cm)、反り1寸2分3厘(3.7cm)、元幅1寸7厘、刃紋はのたれ乱れ。 かつては旧国宝指定だったが、現在は指定重要文化財となっている 多田源氏の棟梁である源満仲が刀匠大原安綱に打たせた双剣のひと振り。 双剣のもう一方は天下五剣のひとつで国宝の名物「童子切安綱」。 名前の由来 頼光四天王のひとり、渡辺綱の手によって一条戻橋の鬼の腕を落としたことから、「鬼切」の名で呼ばれることになったという。 その鬼とは茨城童子であり、酒呑童子の配下の鬼であったという。 しかし実は、このときに使ったのは「髭切りの太刀」であったともいう。 鬼切丸とも言う。鬼切丸を所蔵する北野天満宮では近年、別名髭切ともされる。 所有者経緯 多田満仲から頼光に、さらに頼国に伝来したものを源義家が蝦夷征伐に赴く際に借り、そのまま義家の子孫に伝わった。 元は坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納したものを源頼光が貰い受け、さらに渡辺綱に与えた。 一時箱根権現に奉納されていたが、それを頼朝が貰い受け、のち最上家に伝来したとする。 何らかの由来で新田家に伝わった。南北朝騒乱の折、新田義貞がこの鬼切安綱を鬼丸国綱とともに佩いて奮戦したという。 その後、最上家を出て輾転としている。 明治13年滋賀県権令の籠手田安定の首唱で寄付を募って購入し、京都北野天満宮に奉納した。 明治2年12月には明治天皇の叡覧も賜った。 その時本阿弥光品は、銘「国綱」と読めるが伝来通り安綱であると鑑定している。 「鬼丸国綱」との混同 北野天満宮所蔵のこの鬼切安綱は、大原安綱の作だが現在は銘が改変されており、「國綱」と切り直されている。 「鬼切丸国綱」。 北野天満宮によれば、「鬼切と号する太刀で、当初「安綱」と刻銘してあったが、後代に安の字に字画を加えて「國綱」にしたと伝えられる源氏の重宝として最上家に伝来し、のち有志者より当宮へ奉納された。」という。 このため、国綱作の「鬼丸国綱」と混同される場合がある。 新田義貞が所有したのは鬼丸国綱と鬼切安綱(國綱改銘) |
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静嘉堂文庫美術館蔵 太刀 銘 安綱 重要文化財 | |||||
概要 保科家伝来 補足:静嘉堂文庫美術館 〒157-0076 東京都世田谷区岡本2-23-1 三菱初代社長岩ア彌太郎の弟である岩ア彌之助(1851〜1908 三菱第二代社長)と岩ア小彌太(1879〜1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立された。 国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵する。 |
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紀州東照宮蔵 太刀 銘 安綱 重要文化財 | |||||
概要 徳川家康佩刀 紀州徳川家重宝 附糸巻太刀拵 刃長80.6cm。 |
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文化庁保管 太刀 銘 安綱 重要文化財 | |||||
概要 島津家旧蔵。平成22年度文化庁購入文化財。74百万円。文化庁保管 長74.8cm、反り3.1cm。 |
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飛竜丸(ひりゅうまる) | |||||
長宗我部家、家臣瀬尾家伝来の太刀。 明治期には岩下方平を介して樺山資紀が購入し所有していたが、日露戦争後に友人であった東郷平八郎に贈ったという。 現在所在不明。 |
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壷井八幡宮所蔵(大阪府羽曳野市) 天光丸(てんこうまる) 太刀 銘 安綱 重要美術品 | |||||
概要 長3尺1寸(117.5cm) 1801年の「河内名所図会」には、「壺井八幡宮の神宝」として、天光丸太刀が載っている。 それによると、伯耆安綱の作であり、鬼切丸と同鐵(鉄)で作られた雌雄の太刀であるとする。 多田満仲より相傳し、八幡太郎義家が出陣の時に佩用したという。 壷井八幡宮 1064年、前九年の役に戦勝して凱旋した源頼義が河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが始り。 源頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として鎌倉にも石清水八幡宮を勧請している(鶴岡若宮。後の鶴岡八幡宮)。 頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟となり、河内石川に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる。 |
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![]() 国立国会図書館デジタルコレクション - 河内名所図会 6巻. [3] |
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佐野美術館所蔵 太刀 銘「安綱」 | |||||
佐野美術館 静岡県・三島。回遊式庭園のある美術館。 日本刀をはじめ東洋の工芸品を中心 に、 陶磁器・金銅仏・日本画・能面・装身具などを所蔵。 |
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ボストン美術館所蔵 太刀 銘「安綱」 | |||||
【大原真守作の刀剣刀】 |
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奥州津軽家所蔵 「綱丸」 | |||||
刃長三尺三寸。佩き表に「八幡大菩薩」。 津軽家先祖大浦頼秀が任治元年鎌倉において将軍頼経または北条泰時から拝領した。 |
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立割真守(たてわりさねもり) | |||||
元は伊達家相伝の重宝。 片倉小十郎が伊達政宗から拝領。 |
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高照神社蔵 銘 真守 | |||||
弘前藩主4代津軽信政が佩用していたものを、5代津軽信寿が寄進したとの伝来を持つ。 |
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抜丸(ぬけまる) | |||||
嵯峨帝の勅により打ったもので、元は「木枯(こがらす)」」と号されていた。 「小鴉丸」とともに平家相伝の太刀。 現在所在行方不明。 |
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参考資料 | |||||
「伝承日本刀発祥の地調査報告書」 1986 伯耆安綱鍛錬の場探求会 「大神山神社御神宝刀調査報告書」 1988 伯耆安綱鍛錬の場探求会 「伯耆国縣村日下鍛冶 二代沢口大原尉真守 史実と伝承」 『三朝町誌』 「大原安綱・真守」 p550〜552 1965 「日本刀 源流への旅路(1)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol734−3月号 2018 日刀保 「日本刀 源流への旅路(2)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol735−4月号 2018 日刀保 「日本刀 源流への旅路(3)」 花岡忠男 刀剣美術 Vol736−5月号 2018 日刀保 「日本刀の冶金学的研究」 谷村照 鉄と銅Vol3 p497〜508 1981 『鉄から読む日本の歴史』 (講談社 2003 窪田蔵郎著) 『古代の鉄と神々』 (学生社 1997 真弓常忠) 『古代山人の興亡』 (彩流社 1996 井口一幸著) 『日本刀工辞典 古刀篇』 藤代義雄・藤代松雄著 (藤代商店 1937) 『図解 日本刀事典―刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅』 (歴史群像編集部 2006) 『図説・日本刀大全―決定版 』 (歴史群像シリーズ 2006 稲田和彦 『写真で覚える日本刀の基礎知識』 (2009 全日本刀匠会) 『日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る』 (サイエンス・アイ新書 2016) 『日本刀の教科書』 (東京堂出版 2014 渡邉 妙子) 『銘尽』(めいづくし) 国立国会図書館 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288371) 日立金属HP 「たたらの話」 ウキペディア 「鉄」、「砂鉄」、「蹈鞴」、「鞴」、「木炭」、「鉄穴流し」、「刀工」 |
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初載2018−10−15 |
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