鉄器の種類 | ||||
武器 | ||||
刀剣類 | ||||
刀剣は刃の造り、刀身の反りの有無等によって大きく区分される。 鉞(エツ) まさかりであり斧に分類されるか、斧槍、長柄戦斧に分類される。 斧の類は石器時代からすでに登場する。 矛(ほこ) 「矛」とは、両刃の剣に長い柄をつけたものを言う。 後の槍(やり)、薙刀(なぎなた)の原形であり、主に突刺すのに用いるが、切ることもできる。 剣(けん、つるぎ)・・・・・両刃の刀剣 刀(かたな)・・・・・片刃の刀 @直刀 片刃のうち刀身が真直ぐな物 A彎刀 反りがついた物(いわゆる日本刀) 槍 日本では古墳時代から矛の使用が見られ、槍の使用例は少ない。 その数少ない例として、宴会で酔った大海人皇子(天武天皇)が槍を床に刺したという逸話がある その後は矛は廃れ、平安時代末期からは薙刀のほうが普及する。 しかしその後薙刀よりも実戦向であるとして、槍が普及することとなる。 薙刀 奈良時代後期から鎌倉時代にかけて「手鉾(てほこ)」と呼ばれる、一尺(約30cm)から二尺(約60cm)程の刀身を比較的短い柄に嵌めて用いる柄武器が存在しており、これが改良されたものが薙刀であるという説がある。 |
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鉄鏃(てつぞく) | ||||
鉄製の鏃(やじり)で、日本では狩猟具としてではなく武器として用いられ、2世紀から3世紀にかけての弥生時代後期に普及した。 弥生時代後期にあっては、多くの場合、石鏃や銅鏃と併用されたものとみられる。 弥生中期から古墳前期末(2世紀から4世紀末)までの鉄鏃の重さは4グラムから約6グラム強、重くて7グラムだったのに対し、前期末から終末期(4世紀末から8世紀)では約15グラムと2倍以上も重くなっており鉄製甲冑の普及にともない、鉄鏃も重くなったとしている。 |
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鉄製甲冑 | ||||
5世紀中頃に軍事や外交などに携わっていた丹比氏の首長の墓とされる堺市の黒姫山古墳から24領の鉄製甲冑が出土した。 遅くともこの頃には、鉄製の甲冑が私用されていたと思われる。 |
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農具 | ||||
農具(のうぐ) | ||||
農具とは、農業に使う手作業用道具。 土を掘り返したり、農作物を収穫するときに使われる。 水田耕作においては、鉄製農具が不可欠であると言われている。 農具には以下の様なものがある。 鋤(すき) 地面を掘ったり、土砂などをかき寄せたり、土の中の雑草の根を切るのに使用される手作業用の農具である。 シャベルの一形態と考えられる。 踏鋤(ふみすき) 掘り棒から発達してきたといわれている。 一般の鋤が柄と直角に刃先が交わるのに対して、踏み鋤は、体重を柄にかけて、斜め方向から地面に差し込むようにして利用し、梃子の原理で土を掘り起こす農具である。 そのため、刃先は柄の先端に水平方向に取り付けられることが多く、足を引っ掛ける部分が柄に直角に取り付けられることが多い。 踏み鋤は、前進しながら用いるものと、後退しながら用いるものとあり、種子を撒く人や土を砕く人などと組んで利用されることが多い。 鍬(くわ) 鍬は以下の用途を始めとして、広範囲な農作業で用いられる。 一般に、土を掘ったり動かしたりする。 農作物の周辺の土を掘り起こし、雑草を取り除く。 農作物の根の周りに土を盛り上げる。 鎌(かま) 植物の切断のための湾曲した刃もしくは歯を持っており、引いて刈るように内側に刃が付いている。 |
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農具の歴史 | ||||
弥生時代前期 弥生時代には木製ではあるが、日本の農具の大部分の原型が形づくられていた。 木製の耕起用の打鍬や、泥土を攪拌する引鍬、または刃がいくつもついた叉鍬や、また土を攪拌したり、土を移動させたり、穴を掘ったりするいろいろの形の踏鋤(ふみすき)が製作されている。 木製農具はさらに、畠の除草や土掘用のフグシや、土の表面を平にするエブリや、刈敷・野草などを田に踏みこむ「大足」や、湿地にはまりこまない履き物としての「田下駄」や、稲苗を配ったり、刈り取った稲を運ぶための「田舟」などがある。 弥生中期の終わりごろ 鉄の刃先をつけた鋤や鍬が登場して低湿地周辺の微高地も水田にすることが出来るようになった。 また、農具は土木作業にも転用され、古代の土木作業を大きくさせていたと考えられる。 |
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鉄製の農具 | ||||
鉄と言えば武器が連想されるが、農具に鉄が使用されると農業生産性が格段に向上する。 これはその地域の経済の富裕化につながる。 |
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大工道具 | ||||
大工道具 | ||||
大工道具は主に建築作業に利用される。 大工道具には以下のものがある。 鋸(のこぎり、のこ) 一枚の金属板の側面、一辺あるいは二辺にジグザグにした多くの刃をつけた工具である。 わが国では原始には石斧が加工の主要な道具であった。 弥生時代になると鉄の技術がもたらされ、鉄斧が使用され始めるが、鉄製鋸の出現は、かなり遅れて古墳時代前期と考えられている。 ただし古墳時代前期の鋸は、短冊型鉄板に素歯を刻んだ簡素なもので、建築生産に実用されていたかというと疑問符が付く。 古墳時代も後期になると、木柄を装着するための茎(なかご)を持つものが多くなり、鋸歯にガガリ目やアサリ・ナゲシを持つものなど、木工具としての進歩が見られる。 鉋(かんな) 木工用の工具の1種で、主として材木の表面をけずって加工する目的で使われる。 古代から建築部材の表面仕上げを行うために、槍鉋(やりがんな)が使われてきた。 槍鉋は棒の先に柳の葉のような形の刃を付けた道具である。 15世紀頃に台鉋が発明され、以降は台鉋が中心となった。 明治時代以降、日本では図のような刃が2枚ある二枚鉋が開発され、現代ではこちらのほうが主流である。 鑿(のみ) 木材、石材、金属等に穴を穿ったり、溝を刻んだりするのに用いる工具。 |
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古代における鉄器の分布 | ||||
鉄器の出土都その時代的変遷 | ||||
弥生時代中期 北部九州(博多湾沿岸) 弥生時代後期 北部九州(博多湾沿岸、筑紫平野) 石見 伯耆 丹後 播磨 弥生時代終期 北部九州(博多湾沿岸、筑紫平野) 阿蘇 国東半島周辺 備前 播磨 伯耆 但馬 丹後 敦賀 三浦半島 鹿島灘 古墳時代前期 大和に集中 古墳時代後期 日本列島全体に広がる |
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参考資料 | ||||
野島 永氏 論文 「弥生時代後期から古墳時代初頭における鉄製武器をめぐって」 野島 永 河P正利先生退官記念論文集 考古論集 (2004年)所収 「分割された剣」 野島 永 川越哲志先生退官記念論文集 考古論集 (2005年)所収 「弥生時代における初期鉄器の舶載時期とその流通構造の解明」 野島 永他 「鉄から読む日本の歴史」 (講談社 2003) 窪田蔵郎 「古代の鉄と神々」 (学生社 1997 真弓常忠) |
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