神 道 (しんとう、かんながらのみち) |
神道の起源 |
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日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。
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神道の基本思想 |
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一霊四魂(いちれいしこん)
心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つという日本の神道の思想。
人間の心は四つの魂から成り立ち、それらを一つの「霊」がコントロールしていると考える。
それぞれの魂には、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)という神様の名前がついており、それらを統括するのが一つの霊で、直霊(なおひ)である。
これが人間の一霊四魂という「心の構造」であるとする。
四魂の機能
①勇:荒魂(あらみたま)
「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。その機能は、「勇」という一字で表わされる。
行動力があり、外向性の強い人は荒魂といえる。
②親:和魂(にぎみたま)
2つめの魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。
その機能は、一字で表現すれば「親」である。平
和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
③愛:幸魂(さちみたま)(さきみたまとも呼ばれる)
機能は人を愛し育てる力である。
これは、「愛」という一字で表される。
思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
④智:奇魂(くしみたま)
4つめは奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強いといえる。
直霊の機能
「直霊」(なおひ)の機能を一字で表すと「省」で、自分の行動の良し悪しを、省みることで、四魂を磨いていく働きをする。
直霊はものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導き、もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自らを責め、悔い改めようとする。
この直霊だけが、直接「天」につながり、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをする。
荒魂には「恥じる」ことでフィードバックし、和魂には「悔いる」で、幸魂には 「畏れる」で、奇魂には「覚る」ということでフィードバックする。
この4種のフィードバックをするためには、「省みる」という機能が前提であり、これを加えて、五情の戒律という。
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神道の教義・教典 |
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基本的教義
神道には明確な教義や教典がなく、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。
森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。
浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。
他宗教と比べて現世主義的であり、性善説的であり、まつられるもの(神)とまつるもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられる。
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祝詞(のりと) |
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祝詞とは
神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章をいう。
通常は神職によって独自の節まわしによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。
祝詞の起源
古くは祭祀の場に参集した人々に宣り下される言葉でもあった(宣命体)。
「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」という意味が考えられることから、宣命体の祝詞が本義を伝えるものであると考えることもできる。
祝詞の例
祝詞と名づけられた文章のもっとも古い例は、『延喜式』巻八に収録する29篇と藤原頼長『台記』別記所収「中臣寿詞」の計30篇である。
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神道の分類 |
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皇室神道
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の、すなわち、天皇家の神道である。
神社神道
神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によっておこなわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である。
教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく宗教。
他の神道とは少し性質が異なる。
古神道
原始神道・縄文神道・復古神道ともいい、密教・仏教・道教などの外来宗教の影響を受ける以前の神道のことでもあるが、神社神道に対峙しての古神道という使われ方などもする。
現在の神道や神社神道も古神道を内包していて不可分でもある。
復古神道
また、明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたもの。
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神道考古学 |
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神道考古学とは
考古学的に神道を研究する学問。かつては神社考古学とも称された。
研究対象
第一類 神社と最も密接な関係をもつもの
神籬、磐境、社殿、神像、神服、神宝、神体、調度、祭器、神輿、神符。
第二類 主に神社の付属品
棟札、制札の類。
第三類 崇敬者の奉納品
梵鐘、朝鮮鐘、懸仏、雲版、鰐口、燈籠(金又ハ石)、扁額、塔、盤、経筒、納経、経函、鏡、檜扇、唐櫃、机筥、水瓶、鉄鉢、絵馬、千社札、太刀、短刀、剣、甲胃、腹巻、馬具、胡?、長巻、鉾、太鼓、面、琵琶。
第四類 偶然所蔵しているもの、または間接に関係ある物
墓誌、銅剣銅鉾、各種発掘品、絵銭。
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日本の神について |
神道の神 |
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神道の神は、気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。
いわゆる「八百万の神」である。
神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強いため、古いものほど尊ばれる。
1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利し、天照大神が最高の神格を得たが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。
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神々の分類 |
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1:自然物や自然現象を神格化した神
古代の日本人は、山、川、巨石、巨木、動物、植物などといった自然物、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。
自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。
古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。
これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。
2:古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神
①その時代の有力者を死後に神として祭る例
豊臣秀吉=豊国大明神、徳川家康=東照大権現ど)
②権力闘争に敗れまた逆賊として処刑された者を「怒りを鎮める」という意味で神として祭る例
菅原道真、平将門など
3:万物の創造主としての神
平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書の影響を受け、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。
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神名 |
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神道の神の名前である神名(しんめい)は、大きく3つの部分に分けられる。
神の属性
その神の属性を示すものである。
最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であること、または天・高天原に関係のあることを示す。
「クニ」(国)は国津神を表すこともあるが、多くは天を表わす「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを示す。
「ヨモ」(黄泉)は黄泉の国の神、
「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示す。
この部分が神名にない神も多い。
神の名前
末尾の音で神の特性を表すことが多い。
例 : 「チ」「ミ」「ヒ」「ムス」「ムツ」「ムチ」「ヌシ」「ウシ」「ヲ」「メ」「ヒコ」「ヒメ」など
「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自然神によくつけられ、精霊を表す。
「チ」より「ミ」の方が神格が高いとされている。
「ヌシ」(主)「ウシ」(大人)は位の高い神につけられる
「ムス」(産)「ムツ」(親)「ムチ」(祖)は何かを産み出した祖神を表す。
「キ」「ヲ」(男)「シ」「コ」(子)「ヒコ」(彦・比古・毘古)は男神
「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫・比売・毘売)は女神につけられる。
特に「メ」のつく神は、巫女を神格化した神であるとされることが多い。「
神号
尊称である。
代表的なのは「カミ」(神)、「ミコト」(命・尊)である。
「ミコト」は「御事」すなわち命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。
例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」である。
別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。
ただし、日本書紀では全て「ミコト」で統一している。
特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。
特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。
また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。
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様々な日本の神々 |
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天津神(=天神 てんじん)
高天原にいる、または高天原から天降った神の総称
別天津神 造化の三神(天之御中主神、タカミムスビ、カミムスビ)
神世七代(国之常立神など) イザナギ・イザナミ 三貴神(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)
アメノウズメ オモイカネ アメノタヂカラオ タケミカヅチ 経津主神 ニニギ ヒルコなど
国津神(=地祇 ちぎ)
地に現れた神々の総称
ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
天津神、国津神を併せて「天神地祇」「神祇」とも言う。
大国主
大国主の御子神たち(アヂスキタカヒコネ、事代主、建御名方神)
サルタヒコなど
氏神
本来は古代社会で氏を名乗る氏族・氏人が祀った祖先神または守護神のこと。
その地域の豪族である古代の氏族組織であるウヂが祖神または守護神として祀っていた神のことであった。
産土(うぶすな)神
生まれた土地の守護神のこと。
あるいは本貫(先祖の発祥地)に祀られている神。
氏神、氏子の関係が血縁集団を基にして成立しているのに対し、産土神は地縁集団としての信仰意識に基づく。
従ってその意識が強く表れ得るのは都市である。
鎮守神
一定区域の土地や場所を鎮守・守護する神のこと。
しかし元をたどれば、鎮守神は、地主神を押さえ込み、服従させるために新たに祀られた神である。
つまり、人間がある土地に人工物を造営したとき、その土地に宿る神霊が人間や造営物に対して危害を加える祟りを起こさせないように、その地主神よりも霊威の強い神を新たに勧請して祀ったのである。
中国の寺院に祀られた伽藍神に起源を持つといわれ、神仏習合が進むにつれて日本の寺院においても神霊を勧請し寺院の鎮守として祀るようになった。
その後、寺院のみならず、国家や王城を守護するものや、一国一城ごとの、あるいは荘園や領地単位の鎮守神も祀られるようになった。
地主神(じぬしがみ)
里近くの山や畑または、屋敷か屋敷跡の一画に石祠や石で祭るが、中世に勧請した神以前のカミとして、氏神の境内に祭るところもある。地主・地神の名称は、古く『延喜式』などに見られ、また、中国渡来の要素も考えられるが、一般にこのカミはよく祟るといわれ、ひとつは祖霊的な性格が認められる。
その地区の開拓の祖とか、家の先祖を祭るという伝承も多く、その場合、本家筋の家に同族が集まり祭りを行うが、これを各分家やあるいは本家筋を離れて地区共同で祭るところもある。
また新たな居住者が祟りを恐れて、ひき続いて祭る例もある。これらの屋敷神的・祖霊的性格とは別にその土地につくカミとしてあがめ、地区共同で祭るところもあるが、一般に両者の性格が複合し、守護神とする例が多い。
荒神
極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神。
ヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法善神とされた風習が、日本の風土でも同じくされたものである。つまり古来からいう荒魂を祀って荒神としたということになる。
岐の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)
疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。
岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所のことである。
このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。
神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。
このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。
道祖神(どうそしん)
路傍の神である。
集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、古い時代のものは男女一対を象徴する ものになっている。
村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や 交通安全の神として信仰されている。
各地で様々な呼び名が存在する。
道陸神、賽の神、障の神、幸の神(さいのかみ、さえのかみ)、タムケノカミなど。
かまど神(かまどがみ)
竈や囲炉裏などの火を使う場所に祀られる神。
山の神
山に宿る神の総称である
山の神は女性と考えられていたので、嫉妬心から禍が起きないように女人禁制となっていた場所も多い。
春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。
田の神
稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。
農神、百姓神と呼ばれることもある。
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その他 |
八神殿(はっしんでん)の神々 |
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八神殿(はっしんでん)
日本の律令制の下で神祇官西院に設けられた、天皇を守護する八神を祀る神殿である。
古図によると、八神殿は各神を祀る社殿がそれぞれ独立しており、神祇官西院の西北に、東面した8つの社殿が南北に並んでいた。
南北10丈、東西3丈の朱色の玉垣を三方に廻らし、各殿内に神体はなく榊が置かれていたという。
北から第一殿、第五殿、第八殿の前の3箇所に鳥居が設けられていた。
八神殿は延喜式神名帳に「御巫祭神八座」と記載され、大社に列している。
八神殿に祀られる神
『延喜式』と『古語拾遺』で表記が異なるが、同じ神である。 |
神殿 |
延喜式 |
古語拾遺 |
読み |
第一殿 |
神産日神 |
神皇産霊神 |
かみむすびのかみ |
第二殿 |
高御産日神 |
高皇産霊神 |
たかみむすびのかみ |
第三殿 |
玉積産日神 |
魂留産霊 |
たまつめむすび |
第四殿 |
生産日神 |
生産霊 |
いくむすび |
第五殿 |
足産日神 |
足産霊 |
たるむすび |
第六殿 |
大宮売神 |
大宮売神 |
おおみやのめのかみ |
第七殿 |
御食津神 |
御膳神 |
みけつかみ |
第八殿 |
事代主神 |
事代主神 |
ことしろぬしのかみ |
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八神殿の歴史
応仁の乱で焼失してからは宮中では再建されなかった。
江戸時代に吉田家が吉田神社境内に、白川家が邸内にそれぞれ八神殿を創建して宮中の八神殿の代替としていた。
明治維新により神祇官が再興された。
明治2年(1869年)に神祇官の神殿が創建されて遷座祭が行われた。
この際、八神殿の八神だけでなく、天神地祇と歴代の天皇の霊も祀った。
それまで歴代の天皇の霊は黒戸で仏式で祀られていたが、これに伴い黒戸は廃止された。
明治5年9月、神祇官は宣教のみを行うこととなり、八神殿は神祇官から宮中へ遷座、歴代天皇の霊は宮中の皇霊殿へ移された。
同年10月、八神殿の八神を天神地祇に合祀し、「八神殿」の名称を廃して「神殿」に改称した。
神殿は皇居の宮中三殿の一つである。また、八神のうち大宮売神については、神祇官西院の故地に大宮売神を祀る小祠が作られている。
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参考資料 |
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「神社辞典」 (東京堂出版 1997)
Wikipedia 「神道」 |
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