美作国の神社 |
美作国一宮 中山神社 |
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所在地
岡山県津山市一宮695
社格
式内社(名神大)・美作国一宮・国幣中社・別表神社
祭神
主祭神=鏡作神
配祠=天糠戸神(あめのぬかどのかみ) 石凝姥神(いしこりどめのかみ)
歴史
社伝(『中山神社縁由』)より
慶雲4年(707年)4月3日の創建としているが、実際には和銅6年(713年)、美作国が備前国から分立した時に吉備中山から勧請を受けて創建されたものとみられる。
貞観6年(864年)に官社となった。
延喜式神名帳では美作国唯一の名神大社に列し、美作国一宮として崇敬を受けた。
補足
祭神について
『延喜式頭注』には大己貴命、『作陽誌』には吉備武彦命、『大日本史』『神祇志料』には吉備津彦命と記されている。他に金山彦命とする説もある。
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされている。
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高野神社 |
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所在地
社格
祭神
歴史
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備前国の神社 |
備前一宮 吉備津彦神社 |
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所在地
岡山県岡山市北区一宮1043
社格
備前国一宮 国幣小社 別表神社
祭神
主祭神=大吉備津彦命
配祀=大吉備津彦命を主祭神とし、相殿に以下の神を祀る。
吉備津彦命 -- 大吉備津彦命の子
孝霊天皇 -- 大吉備津彦命の父
孝元天皇 -- 大吉備津彦命の兄弟
開化天皇 -- 孝元天皇の子
崇神天皇 -- 開化天皇の子
彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと) -- 大吉備津彦命の実兄
天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) -- 孝昭天皇の子
大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと) -- 大吉備津彦命の姉
大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと) -- 大吉備津彦命の妹
金山彦大神
大山咋大神
歴史
創建年代=不詳
社伝では推古天皇の時代に創建されたとしており、神体山と仰がれる吉備の中山の裾の、命の住居跡に社殿が創建されたのが起源らしい。
大化改新の後吉備国が備前・備中・備後に分割された後に、備前の国一宮として崇敬される。
朝廷より篤く崇敬され、承和7年(840年)には一品(いっぽん)の神階を受けている。
中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。
補足
備中の吉備津神社を吉備分国時に分祀した神社である。
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備前国一宮 石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ) |
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所在地
岡山県赤磐郡吉井町石上1448
社格
式内社(小社) 備前国一宮 郷社
祭神
主祭神=素盞嗚尊
歴史
創建年代=不詳
現在の祭神は素盞嗚尊とされているが、明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣である布都御魂と伝えられ、明治3年(1870年)の「神社明細帳」では神話の記述に従って十握剣と書かれていた。
この剣を祀ったのが当社の創始と伝えられる。
この剣は崇神天皇の時代に大和国の石上神宮へ移されたとされており、このことは石上神宮の社伝にも記されている。
補足
明治6年(1873年)に郷社に列した。
祭神を素盞嗚尊に変更したのはこのときと見られる。
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備中国の神社 |
備中国一宮 吉備津神社(きびつじんじゃ) |
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所在地
岡山県岡山市北区吉備津931
社格
式内社(名神大) 備中国一宮 官幣中社 別表神社
祭神
主祭神=大吉備津彦命
配祀=大吉備津彦命を主祭神とし、相殿に以下の八柱を祀る。
御友別命(みともわけのみこと)
仲彦命(なかつひこのみこと)
千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
彦寤間命(ひこさめまのみこと)
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
歴史
社伝より
吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、281歳で亡くなって中山山頂に葬られた。
吉備津彦の5代の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営して吉備津彦を祀ったのが当社の始まりと伝える。
補足
備中国と備前国の境にある吉備中山の麓に鎮座する。
元々は吉備国の一宮であったが、吉備国が三国に分割されたときには備中国の一宮となり、備前国・備後国に分霊が勧請されて各国の一宮となっている。
備前国一宮の吉備津彦神社は同じ吉備中山の麓にある。
吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子で、別名を比古伊佐勢理比古命という。
崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、「吉備臣」を名乗ったという。
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備後国の神社 |
備後国一宮 吉備津神社 |
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所在地
広島県福山市新市町宮内400
社格
備後国一宮 国幣小社 別表神社
祭神
主祭神=大吉備津彦命
歴史
吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる。
しかし、その百年後の905年から967年にかけて編纂された延喜式(延喜式神名帳)に記載がないことから、実際の創建はもっと後であるとする説がある。
実際、神社の名前が最初に確認できる史料は久安4年(1148年)の八坂神社の記録『社家条々記録』であり、境内の発掘調査でも12世紀以降のものしか出土していない。
補足
備中の吉備津神社を吉備分国時に分祀した神社である。
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参考資料 |
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「岡山県の歴史」(山川出版 2000)
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)
Wikipedia「神社一覧」
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