第2代綏靖天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 神沼河耳命 日本書紀での呼称 神渟名川耳尊 生年・没年 神武天皇29年(紀元前632年?)- 綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年?) 即位 即位=綏靖天皇元年(紀元前581年? ) 皇居=葛城高丘宮 崩御 崩御=571年(欽明天皇32年) 『古事記』には、45歳で没 『日本書紀』によれば、綏靖天皇33年(紀元前549年?)5月に84歳で没したとされる。 陵墓=葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや=現在の奈良県御所市森脇?) 『古事記』では「葛城の高岡宮」。 補足 「綏」も「靖」も「やすらか」の意であり「綏靖」で「安らかに落ち着く」の意がある。 |
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系譜 | ||||
概略 神武天皇の第3子 父=神武天皇 母=媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ) 『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記す。 別名、「富登多多良伊須岐比売」(ホトタタライスキヒメ)としている。 皇后=五十鈴依媛命(川派媛(第1の一書)、糸織媛(第2の一書) 河俣毘売(『古事記』) 皇子①=磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと=安寧天皇) |
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事績 | ||||
手研耳命(タギシミミ)の反逆 父・神武天皇が崩じた後、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)が、腹違いの弟たちを害そうとした。 神渟名川耳尊は母の歌からこのことを察知し、同母兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)とともに片丘(現在の奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。 この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が矢を射て殺したとされる(己卯年(紀元前582年?)11月)。 この失態を恥じた神八井耳は弟を助けて天神地祇を掌り、神渟名川耳が天皇として即位することになった。 |
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第3代安寧天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 師木津日子玉手見命 日本書紀での呼称 磯城津彦玉手看尊 生年・没年 綏靖天皇5年(紀元前577年)-安寧天皇38年(紀元前510) 即位 即位=綏靖天皇25年正月(紀元前557年)に立太子 同33年(紀元前549年)父天皇の崩御を受けて、7月に即位。年 皇居=片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや) 崩御 崩御=安寧天皇38年(紀元前510) 年在位38年で崩御。 『日本書紀』に57歳(67歳?)、『古事記』に49歳という。 陵墓=畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほとのいのえのみささぎ) 奈良県橿原市吉田町に所在する俗称「アネイ山」(山形墳)に比定される。 |
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系譜 | ||||
父=綏靖天皇 母=五十鈴依媛命(河俣毘売) 皇后=渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)・・・・鴨王の女、あるいは天日方奇日方命の女 皇子①=息石耳命(おきそみみのみこと、常津彦某兄?) 皇子②=大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと=懿徳天皇) 皇子③=磯城津彦命(しきつひこのみこと)(子孫は中原氏?) |
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系譜補足 | ||||
母 五十鈴依媛命 五十鈴依媛命は、事代主神の娘。 姉の姫踏鞴五十鈴媛命は神武天皇の皇后。 皇后 渟名底仲媛命 『日本書紀』本文での皇后。渟名襲媛とも。(第1の一書)、 『事代主の子、鴨王の娘。母は不明。安寧3年に皇后になる。 糸織媛(第2の一書) 『先代旧事本紀』では「三世孫 天日方奇日方命 亦名 阿田都久志尼命 此命娶日向賀牟度美良姬 生一男一女 兒 健飯勝命 妹 渟中底姬命 此命 片鹽浮穴宮天皇 安寧 片鹽浮穴宮 或本坐輕地曲峽宮 立為皇后 誕生四兒 即 大日本根子彥耜友天 懿德 次 常津命 次 磯城津彥命 次 手研彥奇友背命也」とあり渟中底姬命といい、天日方奇日方命の娘。 『古事記』での皇后は、師木県主波延の娘 阿久斗比売、 『日本書紀』第1の一書での皇后は磯城県主葉江の娘である川津媛、第2の一書での皇后は大間宿禰の娘である糸井媛。 第一皇子 息石耳命 安寧天皇の第一皇子で、母は渟名底仲媛命。同母弟に懿徳天皇らがいる。 子は天豊津媛命(懿徳天皇皇后)のみで、跡継ぎがなかったと「先代旧事本紀」に記されている。 「古事記」「日本書紀」の常津彦某命と同一人物という説がある。 |
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第4代懿徳天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと) 日本書紀での呼称 大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと) 生年・没年 綏靖天皇29年(紀元前553年?)- 懿徳天皇34年9月8日(紀元前477年?) 即位 即位=懿徳天皇元年(紀元前510年?) 皇居=軽曲峡宮(かるのまがりおのみや。現在の奈良県橿原市見瀬町・白橿町?)。 『古事記』には「軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)」とある。 崩御 崩御=懿徳天皇34年(紀元前477年?) 在位34年で崩御。『日本書紀』に77歳、『古事記』に45歳。 陵墓=畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごたにのえのみささぎ) |
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系譜 | ||||
父=安寧天皇 母=渟名底仲媛命 皇后=天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)・・・・息石耳命(おきそみみのみこと)の女 皇子①=観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと=孝昭天皇) 皇子②=武石彦奇友背命(たけしひこくしともせのみこと、『古事記』には多芸志比古命) |
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第5代孝昭天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと) 日本書紀での呼称 観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと) 生年・没年 懿徳天皇5年(紀元前506年)- 孝昭天皇83年(紀元前393年?) 即位 即位=懿徳天皇22年(紀元前489年?)に立太子、孝昭天皇元年(紀元前475年?)に即位した。 皇居=掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや)・・・・現在の奈良県御所市池之内? 崩御 崩御=紀元前393年? 在位83年で崩御。『日本書紀』に114歳、『古事記』には93歳。 陵墓=掖上博多山上陵(わきがみのはかたのやまのえのみささぎ) 現在、同陵は奈良県御所市三室に所在する俗称「博多山」(山形墳)に比定される。 |
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系譜 | ||||
父=懿徳天皇 母=天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)・・・・息石耳命の女 皇后=世襲足媛尊(よそたらしひめのみこと=余曽多本毘売命)・・・・瀛津世襲の妹、天忍男命の女 皇子①=天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) 和珥氏・春日氏・小野氏・粟田氏・柿本氏・大宅氏等の祖 皇子②=日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと=孝安天皇) |
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第6代孝安天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと) 日本書紀での呼称 日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと) 生年・没年 孝昭天皇49年(紀元前427年?)- 孝安天皇102年(紀元前291年?) 即位 即位=孝安天皇元年(紀元前392年?) 皇居=室秋津島宮(むろのあきづしまのみや)・・・・現在の奈良県御所市室 崩御 崩御=孝安天皇102年(紀元前291年?) 『古事記』に123歳、『日本書紀』に137歳。 陵墓=玉手丘上陵(たまでのおかのえのみささぎ) 同陵は奈良県御所市大字玉手の玉手丘陵上に所在する円墳に比定されている。 |
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系譜 | ||||
概略 孝昭天皇の第二子 父=孝昭天皇 母=母は瀛津世襲の妹・世襲足媛(よそたらしひめ)。 皇后=押媛(おしひめ、忍鹿比売命)・・・・天足彦国押人命の女 皇子①=大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと、古事記による) 皇子②= 大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと=孝霊天皇) |
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系譜補足 | ||||
母 世襲足媛(よそたらしひめ) 尾張連祖奥津余曾の妹である余曾多本毘娘。 『日本書紀』本文では尾張連祖、瀛津世襲の娘である世襲足媛である。 『日本書紀』第1の一書での皇后は、磯城県主葉江の娘である渟名城津媛、第2の一書では、倭國豊秋狭太媛の娘である大井媛。 皇后の父 天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) 孝昭天皇の皇子で、母は瀛津世襲の妹・世襲足媛命(よそたらしひめ『日本書紀』本文)『古事記』では余曽多本毘売命、日置姫)。 阿那臣・壱比韋臣・大坂臣・大宅臣(おおやけのおみ)・小野臣・柿本臣・春日臣・粟田臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟邪臣(むさのおみ)・都怒山臣・伊勢飯高君・壱師君・近淡海国造(ちかつあふみ)の祖。 『日本書紀』に和珥臣の祖とし、『新撰姓氏録』にも同様の系譜記載がある。 なお、子に和邇日子押人命(稚押彦命)がおり(『和邇系図』)、名からして和邇氏族の宗祖的存在と言える。 |
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第7代孝霊天皇 | ||||
詳細は、「孝霊天皇」へ |
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第8代孝元天皇 | ||||
詳細は、「孝元天皇」へ |
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第9代開化天皇 | ||||
概説 | ||||
諡号 古事記での呼称 若倭根子日子大毘々命(わかやまとねこひこおおびびのみこと) 日本書紀での呼称 稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと) 生年・没年 孝元天皇7年(紀元前208年?)- 開化天皇60年(紀元前98年?) 即位 即位=孝元天皇22年(紀元前193年?)正月に立太子、孝元天皇57年(紀元前158年?)に即位。 皇居=春日率川宮(かすがのいざかわのみや) 奈良県奈良市本子守町の率川神社が伝承地 崩御 崩御=化天皇60年(紀元前98年?) 在位60年で崩御。『古事記』に63歳、『日本書紀』に115歳(111歳?) 陵墓=春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ) 奈良県奈良市油阪町の念仏寺山古墳(前方後円墳・全長約100m)に比定される。 |
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系譜 | ||||
概略 孝元天皇の第二子 父=孝元天皇 母=欝色謎命(うつしこめのみこと)。 皇后=伊香色謎命(いかがしこめのみこと)・・・・物部氏の祖である大綜麻杵の女 皇子①= 御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと=崇神天皇) 皇女①=御真津比売命(みまつひめのみこと=観松姫命) 妃1=丹波竹野媛(たにわのたかのひめ)・・・・丹波大県主由碁理の女 皇子①= 彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと、比古由牟須美命) 妃2=姥津媛(ははつひめ、意祁都比売命)・・・・和珥氏の祖・姥津命の妹 皇子①=彦坐王(ひこいますのみこ)・・・・景行天皇の曾祖父、神功皇后の高祖父 妃3=鸇比売(わしひめ)・・・・葛城垂見宿禰の女) 皇子①=建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのみこ、武豊葉列別命・武歯頬命) |
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系譜補足 | ||||
母 欝色謎命(うつしこめのみこと) 父は大水口宿禰命(大矢口宿禰命とも)で、母は坂戸由良都姫。 同母兄に欝色雄命がいる。 大綜麻杵命(伊香色雄命・伊香色謎命の父)の同母姉(妹)。大彦命・開化天皇の母。 皇后 伊香色謎命(いかがしこめのみこと) 古事記には伊迦賀色許売命(読み方同じ)とある。 父は大綜麻杵命で、母は高屋阿波良姫。同母兄に伊香色雄命がいる。 子に彦太忍信命(父は孝元天皇。武内宿禰の祖父(記では父)。 磐之媛命の高祖父(記では曾祖父)) |
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参考資料 | ||||
「日本古代史の100人」 (歴史と旅臨時増刊号23巻2号 秋田書店 1996) 「古代人物総覧」 (別冊歴史読本21巻50号 1996) 「日本書紀 上・中・下」 (教育社 1992 山田宗睦訳) 「口語訳 古事記」 (文藝春秋社 2002) 「歴代天皇全史」 (歴史群像 学習研究社 2003) 「神武天皇は実在した」 (歴史と旅22巻9号 秋田書店 1995) Wikipedia 「欠史八代」 |
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