第8代 孝元天皇 (主として日本書紀による記載) | |
概説 | |
諡号 古事記での呼称 大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと) 日本書紀での呼称 大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと) 即位 即位年=孝霊天皇36年(紀元前255年)1月 皇居=軽境原宮(かるのさかいはらのみや)・・・ 奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社が伝承地 崩御 崩御=古事記に57歳 日本書紀に116歳 陵墓=剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ)に葬られたという。 同陵は奈良県橿原市石川町の中山塚1~3号墳(円墳2基、前方後円墳1基)に比定される。 |
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系譜 | |
父=第7代孝霊天皇 母=細媛命(ほそひめのみこと、くわしひめのみこと)。 皇后=欝色謎命(うつしこめのみこと)---欝色雄命の妹 皇子①=大彦命(おおひこのみこと)・・・阿倍臣、膳臣、阿閉臣、狭狭城山君、筑紫国造の祖 皇子②=少彦男心命(すくなおこころのみこと)古事記では少名日子建猪心命 皇子③=稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと=開化天皇) 皇女①=倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと) 妃1=伊香色謎命(いかがしこめのみこと) 物部氏の祖・大綜麻杵の女 後に開化天皇の皇后・崇神天皇の母 皇子①=彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと) 武内宿禰の祖父(古事記では父)、 磐之媛命の高祖父(古事記では曾祖父)、葛城氏・蘇我氏・平群氏・紀氏の祖 妃2=埴安媛(はにやすひめ。河内青玉繋の女) 皇子①=武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと) 邪馬台国と戦った狗奴国の卑弥弓呼という説もある。 参照:古代有力氏族系図まとめ |
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事績 | |
特に記録されていない。 孝霊天皇36年(紀元前255年) 1月に立太子 孝霊天皇6年(紀元前215年) 2月 孝霊天皇が崩御すると、翌年1月に即位した。 在位57年で崩御。 古事記に57歳 日本書紀に116歳。 |
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参考資料 | |
「新訂増補国史大系 日本書紀 前篇」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美) 「新訂増補国史大系 日本書紀 後編」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美) 「口語訳 古事記」 (文藝春秋社 2002 三浦佑之) |
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第8代 孝元天皇 | ![]() |
孝元天皇 欠史八代の中の天皇で、記紀には事績の記載はない。 (参照:皇室・有力氏族系図まとめ) |