日本国内史料 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飛鳥時代以前 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文献名 | 編纂年 | 編者 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧辞・帝紀 | 545頃 | 欽明朝の前後に、帝紀・旧辞の編纂が始まる。 各氏族伝来の歴史書であると考えられているが、旧辞・帝紀とも同じく散逸しており、現存していない。 帝紀、旧辞は別々の書物ではなく一体のものであったとする学説もある。 |
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上宮記 | 600年代 初頭 |
不詳 | 鎌倉時代後期まで伝存していたが、その後は散逸し、『釈日本紀』・『聖徳太子平氏伝雑勘文』に逸文を残すのみである |
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国紀・天皇紀 | 620 | 聖徳太子 蘇我馬子 |
聖徳太子、蘇我馬子が「国記」、「天皇記」の編纂。 645年、乙巳の変にて「天皇記」は焼失したとされる。 国記は燃失する前に戦火の中から出された。しかし、現存していない。 |
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奈良時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文献名 | 編纂年 | 編者 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
古事記 | 712 | 太安万侶 稗田阿礼 |
全3巻。 変体漢文。紀伝体。 |
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風土記 | 713 | 713年、諸国に風土記の編纂を命じる。 現存しているのは出雲・播磨・常陸・豊後・肥前の五カ国のものだけで、そのうち完本は『出雲国風土記』だけ。 |
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日本書紀 | 720 | 舎人親王他 | 全30巻、系図1巻。 純漢文。編年体。 |
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出雲国風土記 | 733 | 現存する唯一の風土記完本。 733年完成。 |
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万葉集 | 759 | 大伴家持ら | 全20巻。 わが国最古の歌集。万葉仮名を使用。約4500首を掲載。 |
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懐風藻 | 751 | 淡海三船ら | 最古の漢詩集。 |
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籐氏家伝 | 760 | 恵美押勝 僧延慶 |
上下巻。古代から藤原氏に代々伝えられてきた、藤原氏初期の歴史が記された伝記。 |
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日本霊異記 | 787 | 薬師寺の僧景戒 | 初の説話集。(昔話集) 序と本文の記述から、編纂は弘仁13年 (822年) とする説がある。 |
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平安時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文献名 | 編纂 | 編者 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
続日本紀 | 797 | 菅野真道ら | 全40巻。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱う。 平安時代初期に編纂された勅撰史書で、『日本書紀』に続く六国史(りっこくし)の第二に当たる。 |
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古語拾遺 | 807 | 斎部広成 | 全一巻。神道の歴史書。 大化の改新以降、同様に祭祀を司っていた中臣氏(藤原姓を与えられたが、後に別流は中臣姓に戻された)が政治的な力を持ち、祭祀についても役職は中臣氏だけが就いているという状況だった。本書は斎部氏の正統性を主張し有利な立場に立つために著されたものであると考えられる。 |
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新撰姓氏録 | 815 | 嵯峨天皇の勅命により編纂 | 30巻・目録1巻。 氏姓が記録され、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に3分類されている |
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先代旧事本紀 | 不詳 (820年代の説あり) |
不詳 | 全10巻。天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。 偽書であるとの評価が一般的であるが、不自然なのは限られた部分だけで、ある程度の史料価値をみとめてもよいと思われる。 成立時期を807年~859年~876年とみる説がある。 |
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日本後紀 | 840 | 藤原緒嗣ら | 全40巻(現存10巻)。 792年から833年に至る42年間を記す。編年体、漢文。 |
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続日本後記 | 869 | 藤原良房・春澄善縄ら | 文徳天皇の勅命により編纂。 天皇の動静の記録を詳述し天皇親政から摂関政治へ移る時代の根本史料。 |
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日本文徳天皇 実録 |
878 | 藤原基経、南淵年名、都良香、大江音人ら | 全10巻。「弘仁文化」から「貞観文化」への過渡期を詳述し人間的な伝記を収めている。 |
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類聚国史 | 892 | 菅原道真編纂 | 200巻、目録2巻、系図3巻の計205巻 編年体である六国史の記載を中国の類書にならい分類再編集したもの。 応仁の乱で散逸したとされ、現存するのは62巻のみ。 |
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新撰字鏡 | 892 | 僧、昌住(しょうじゅう)による編集 | 全12巻。 日本で作られ、現存している最古の辞典。 中国の字書に倣って作られたと言われ、漢和辞典のようなもの。約2万字を集録。部首160に分類されており、発音、和訓なども付けた本格的な辞典。 |
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日本三代実録 | 901 | 藤原時平・大蔵善行・菅原道真ら。 | 全50巻。901年(延喜元)完成。 清和天皇から光孝天皇まで(858年-887年)を扱う。 |
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延喜式 | 927 | 藤原時平、藤原忠平ら | 全50巻、約3300条からなる。弘仁格式、貞観格式、延喜格式の三つの格式(きゃくしき)の一つである。律令の補助法令。 |
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和名類聚抄 | 935 | 源順 | 醍醐天皇第四皇女、勤子内親王の求めに応じて、源順(みなもとのしたごう)が編集したといわれる。日本で2番目に古い百科事典と もいわれる。 |
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口遊 (くちずさみ) |
970 | 源為憲 | 貴族子弟の為の教科書。「雲太、大二、京三」、(出雲大社が一番高く、大和の東大寺が二番目に高く、京の大極殿が三番目に高い)などと記されている。 |
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小右記 | 1032頃 | 藤原実資 | 全61巻。 公卿藤原実資の日記。「小右記」とは小野宮右大臣(実資のことを指す)の日記という意味。全文は漢文で書かれている。『野府記』(やふき)ともいう。 |
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扶桑略記 | 1095頃 | 僧 皇円 | 全30巻。平安時代の私撰歴史書。 総合的な日本仏教文化史であるとともに六国史の抄本的役割を担って後世の識者に重宝された。 |
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日本紀略 | 11世紀末頃 | 編者不詳 | 全34巻。 六国史の抜粋と、六国史以後後一条天皇までの歴史を記す。 範囲は神代から長元9年(1036年)まで。 |
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中右記 | 1138頃 | 中御門右大臣 藤原宗忠 |
寛治元年(1087年)から保延4年(1138年)まで書いた日記であり50余年にわたる。院政初期の基本史料。当時の政治・社会情勢や有職故実、さらには人物批評に至るまでを知る上で貴重な資料となっている。 |
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鎌倉時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吾妻鏡 | 1300頃 | 欠巻1巻を含め52巻。 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す。 |
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室町時代・安土桃山時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
神皇正統記 | 1339頃 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平記 | 1370頃 | 作者不詳 | 全40巻。 南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。 |
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江戸時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本逸史 | 1692 | 鴨祐之 | 40巻。元禄5年成る。享保9年刊。 『日本後紀』の欠をおぎなうべく、『類聚国史』、『日本紀略』、『類聚三代格』、『政事要略』その他の記事を、延暦11年以降天長10年まで、原文のまま、編年体で記述する。 |
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大日本史 | 完成は明治時代 | 水戸光圀 | 紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。 神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。 |
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伯耆民諺記 (ほうきみんげんき) |
1742 | 鳥取藩士 松岡布政 (まつおかのぶまさ) |
伯耆国の様々な伝承や、寺社、古城砦の合戦記を記す。伯耆国のまとまった史書としては唯一のものであり、当地域の歴史研究において欠くことのできない資料である。 伯耆国唯一の史書ではあるが、記述は東伯耆(鳥取県中部)関連のものに偏っている傾向がある。 |
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古事記伝 | 1790 | 本居宣長 | 全44巻。本居宣長が、35歳頃から35年をかけて69歳の時に書き終えた『古事記』の注釈書。 |
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諸国名義考 (しょこくめいぎこう) |
1809頃 | 斎藤彦麻呂 | 1809(文化6)版の後印あり。 諸国の名義を古書より考証し、類と例をあげ解釈説明をしたもの。 |
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伯耆民談記 | 幕末? | 鵜殿氏 | 鵜殿氏によって『伯耆民諺記』が改題再編されたものと考えられる。 これは『因幡民談記』に対しての改題であり、更に何人かの加除改稿によって『民諺記』の元の形が失われた。 |
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伯耆誌 | 幕末 | 明治維新の混乱期に散逸したために現存しているのは一部である。 伯耆民諺記には出典史料が不明な部分が多数を占めるなどしている。 しかし、その反省であろうか『伯耆志』には史料編が付け加えられている。 |
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補足 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六国史 奈良時代から平安時代初期に編纂された勅撰の六つの国史。 日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録の総称。 六書とも漢文で,主に編年体。 中国の正史『史記』、『漢書』、『後漢書』等が手本と言われている。 |
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海外史料 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中国の史料 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文献名 | 編纂年 | 編 者 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
史記 | BC 91年頃 |
司馬遷 | 中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。 70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。 |
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漢書 | 100年頃 | 班固、班昭ら | 前漢のことを記した歴史書。二十四史の一つ。 |
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三国志 | 280年頃 | 陳寿 (233年 - 297年) |
中国の西晋代の人により西暦280年~290年頃に編纂された紀伝体の歴史書。 後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの三国時代についてほぼ同時代の人物によって書かれた重要な史料。 |
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(魏志倭人伝) | 280年頃 | 中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。 |
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後漢書 | 432年 | 范曄(はんよう) | 後漢朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。本紀十巻、列伝八十巻、志三十巻の全百二十巻からなる紀伝体。成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代。 |
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宋書(そうじょ) | 490年頃 | 沈約 | 中国南朝の宋について書かれた歴史書。 宋・斉・梁に仕えた沈約が斉の武帝に命ぜられて編纂した。 本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる紀伝体。日本については『夷蛮伝』(いばんでん)が立てられており、倭の五王と呼ばれる日本の支配者から朝貢が行われたことが記されており、この時代の日本の貴重な資料となっている。 |
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梁書(りょうじょ) | 629年 | 姚思廉 | 梁(502年から557年)の歴史を記した歴史書。56巻。 中国正史の一つで、629年(貞観3年)に、陳の姚察の遺志を継いで、その息子の姚思廉が成立させた。 |
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晋書(しんじょ) | 648年 以降 |
房玄齢 李延寿ら |
唐の648年に太宗の命により編纂された、五胡の単于・天王・皇帝に関する歴史書。 記述帝紀十巻・載記三十巻、列伝七十巻、志二十巻によって構成される紀伝体。 |
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隋書 | 656年 | 本紀5巻、志30巻、列伝50巻からなる 。唐の魏徴と長孫無忌らが唐の太宗の勅を奉じて勅撰を行う。編纂には顔師古や孔穎達らが参加した。636年(貞観10年)には魏徴によって本紀5巻、列伝50巻が完成する。 第3代の高宗に代替わりした後の656年(顕慶元年)に、長孫無忌によって志30巻が完成し、後から編入が行われる。 |
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旧唐書 (くとうじょ) |
945年 | 劉昫(りゅうく)ら | 中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫らによって編纂された歴史書。二十四史の一つ。唐の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれている。 日本について「倭国伝」と「日本国伝」の二つが立てられている。 「日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。」ともあり、一般的となっている見解も載せられている。 |
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新唐書 (しんとうじょ) |
1060 |
中国の唐代の正史。五代の後晋の劉昫の手になる『旧唐書』(くとうじょ)と区別するために、『新唐書』と呼ぶが、単に『唐書』(とうじょ)と呼ぶこともある。北宋の欧陽脩らの奉勅撰、225巻、仁宗の嘉祐6年(1060年)の成立である。 |
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補足 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二十四史 中国の王朝の正史24書のことで。伝説上の帝王「黄帝」から明滅亡の1644年までの歴史を含む。 清の乾隆帝によって定められた.。 史記、漢書、後漢書、三国志、晋書、宋書、南斉書、梁書、陳書、魏書、北斉書、周書 隋書、南史、北史、旧唐書、新唐書、旧五代史、新五代史、宋史、遼史、金史、元史、明史 |
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朝鮮半島の史料 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文献名 | 編纂年 | 編 者 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
三国史記 | 1145 | 金富軾ら | 全50巻。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。 三国時代(新羅・高句麗・百済)から、統一新羅末期までを対象とする紀伝体の正史。 |
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三国遺事 (さんごくいじ) |
1280頃 | 僧 一然 | 高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。 『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。 |
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その他 (金石文、碑文等) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
碑文名 | 備 考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広開土王碑文 | 414 | 長寿王 | 高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)の業績を称えるために息子の長寿王によって414年(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉、9月29日 (旧暦))に建てられた石碑である。 好太王碑とも言われる。 詳細は「碑文(ひぶん)」へ |
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稲荷山鉄剣銘文 | 471 | 詳細は「鉄剣・鉄刀銘文」へ |
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