木簡とは | ||||
木簡とは |
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中国、朝鮮、日本では一行または数行の文を書いた細長い板が多数出土しており、これこそが典型的な、狭義の木簡である。 木簡の特徴の一つは、削って書き直したり再利用したりすることができるという点である。 そのため当時の文具には筆、墨、硯に加えて小刀が含まれていた。 削り屑に習字した例もあり、上述の広義の木簡に含まれる。 |
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日本の木簡の特徴 |
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日本の木簡としては、正倉院の宝物に付けられていた30数点が伝わるほか、1928年に三重県の柚井遺跡で3点、1930年に秋田県の払田柵跡で2点が見つかっていたが、当時はあまり注目されなかった。 大量出土は1961年の平城京跡での41点に始まり、以後続々と各地で見つかるようになった。 数的に多いのは1996年の平城京東南隅から約1万3千点、1988〜1989年の長屋王家木簡と隣接する二条大路木簡があわせて約11万点、長岡京など都からのものである。 特に長屋王家木簡の発見で、重要な考古資料として木簡が広く知られるようになった。 だが、最近では藤原京より以前の宮都やその周辺の遺跡からも、さらに、国・郡の地方官衙や寺院など全国から出ている。 2011年末までに38万点以上が見つかっている。 |
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木簡の種類 |
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文書木簡 |
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製造から廃棄まで |
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中国の木簡 | ||||
日本で木簡と呼ぶものを中国の考古学では簡牘という。 竹に文字を書いた竹簡が主流で、単に簡や簡牘といえば竹簡を指す。 気候の関係で竹が生育しない黄河流域以北では木の木簡も広く用いられた。 紙が普及しない漢代まで、木簡・竹簡は文書の材料として広く用いられていた。 木簡と竹簡の相違は、その用途の相違によるものとも考えられる。 つまり、各種の証明書や検・檄・符などの単独簡として用いられる簡には木簡が用いられ、それに対して、書物や簿籍などの編綴簡には竹簡が用いられている、という出土状況から、そのように考えられている。 |
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朝鮮の木簡 | ||||
2013年頃までの発見数は35遺跡約750点と少ないが、日本の古代史にも関わる重要な知見が得られている。 日本最古の木簡は640年代(7世紀中程)であり数が多くなるのは680年代の天武天皇の時代からだが、朝鮮では7世紀前半のものが見つかっている。 |
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参考資料 | ||||
奈良文化財研究所 木簡データベース Wikipedia 「木簡」 |
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